『YouTube時代の大統領選挙』出版記念セミナーに参加しました…さらに加速するプロサンプション活動

こんにちは。大広の梅田です。

前回は、「プロサンプション活動を起こす文化/土壌について」考察し、「『過剰財(生存に必要だが不足することがない財)』を贈与し合いコミュニティ内の評判を獲得する『評判ゲーム』が、プロサンプション活動のモチベーションの源泉となっている」という主旨を書きました。

今回は、この「モチベーション」について、もう少し詳しい構造を見ていこうと思ったのですが、ちょうど先日参加したセミナーがこの「モチベーション」と関連する話題を提供してくれたので、今回はこのセミナーの紹介をして、次回にその内容も絡めながら「モチベーション」の構造を考察していきます。

 

さて、そのセミナーですが、「第3回 JaMMedia Session in Tokyo 『オバマ現象』後のアメリカにおけるコミュニケーションの変化。」というもので、大柴ひさみさんの新しい著書『YouTube時代の大統領選挙-米国在住マーケターが見た、700日のオバマキャンペーン・ドキュメント』(東急エージェンシー出版部)の出版を記念したものです。

セミナーは東急エージェンシーさんの会議室で行われたのですが、ドーナツとコーヒーがサーヴされるなど、カジュアルでリラックスした雰囲気で、講演後の質疑応答ディスカッションが活発になるような配慮がされていて、気持ちが良かったです。

大柴さんの講演は、話しの合間に著書内で取り上げているYouTubeの映像をタイミング良く挟みながらテンポ良く進み、あっと言う間に時間が過ぎました。短く感じたのは、映像を挟んで飽きさせなかったことと、リアリティをもった内容(※大柴さんは米国在住)だったからだと思います。

また、この講演で最も象徴的だったことは、この講演をTwitter上で実況したり議論したりする人が、かなりいたことです。そのログはTwitterユーザーの第一人者(αTwitter-er)でブログ「マーケる?」のyteppeiさんがまとめてくれていますので、是非ご一読を。複数の人による実況や議論で、セミナーの内容がWeb上に自然と立ち上がっていく様子が分かると思います。

肝心の本の内容ですが、個人的にはまさに「リアリティ」にこそ、この本の価値はあると思いました。20072月から大柴さんがオバマに注目し、彼の動向を大統領になるまで追っていく形式なのですが、米国国内の様子が手に取るように具体的なので、とても分かりやすかったです。オバマ関連書籍は他にも良書が幾つか出ていますが、それらで言われていた理論等が、この大柴さんの本を読むことで、体に染み込むように改めて理解することができました。

さらに、タイトルにもあるYouTubeの関連動画を本の各所に散りばめて紹介しているのも特徴です。これらを見ながら読み進めていくことで、オバマ大統領選挙を“追体験”することができます(あとがきを担当された菊井健一さんもこの点をご指摘しています)。また既存のテレビを中心とした選挙活動との対比の意味でも上手な構成だと思いました。(ちなみに、「各ケーブルテレビは政党色を強く出す」という大柴さんの講演中の解説も印象に残りました。具体的には本を読んでいただければ分かるのですが、日本とかなり違う点です)

 

ご紹介は以上なのですが、ここで「プロサンプション活動のモチベーションに関連する話題」に戻りましょう。その話題は、大柴さんの講演の冒頭の米国のメディア環境を説明するパートで出てきました。これがこちらの資料リンクです

これは、「Social Technographics Ladder」というもので、ソーシャルメディアにおける人々の活動の度合いを6つのカテゴリーに分類したものです。ハシゴの段が高くなればなるほど、よりアクティブで難易度の高い活動を表しています。具体的には、「inactives(活動しない人)」→「Spectators(観客/傍観者)」→「Joiners(参加者)」→「Collectors(収集家)」→「Critics(評価者)」→「Creators(創造者)」という段階です。

※各カテゴリーの定義などは資料リンク先をご覧ください。

※尚、この資料リンクは『グランズウェル』(シャーリーン・リー、ジョシュ・バーノフ著、伊東奈美子訳、翔泳社)の原著のサイトとなります。この本で語られていることもプロサンプションと密接な関連があるので、今後どこかで触れてみたいと思っています。

そして、この6つのカテゴリーそれぞれのボリュームがどのように推移しているか、という調査結果が出ているのですが、「inactives(活動しない人)」以外の5カテゴリーがいずれも増えています。

※詳細はリンク先でどうぞ(重複アリなので各カテゴリーの合計は100%にはなりません)。

これは注目すべき事実です。まず、このような背景があったからこそ、オバマ流の選挙活動はうまく機能したと言えるでしょう(というか、そのような講演内容でした)。そして、これはプロサンプション活動が今後さらに活発になってくること(またそれをどのようにビジネスにリンクさせていくかが重要な課題となること)を示唆しています。

というわけで、次回のモチベーション構造は、この「ソーシャルメディアユーザーのカテゴリー」も意識しながら考察を進めていきます。(前回の記事から続く記事4、5本の内容は、本研究ブログの核心のひとつとなる予定で書き進めています)

カテゴリー: プロサンプション事例紹介 — 梅田 9:55 AM  コメント (829)

【「ノウアスフィアの開墾」研究シリーズ】003…過剰財を贈与して評判を得るという経済文化がプロサンプション活動を促進する

こんにちは。大広の梅田です。

それでは今回は、「プロサンプション活動を起こす文化/土壌について」(中央集権的な存在の有無による違い)に触れていきます。

尚、議論の前提ですが、

人間は、社会的地位のために競争しようという生まれながらの衝動がある。

Eric S. Raymond 著 山形浩生 YAMAGATA Hiroo 「ノウアスフィアの開墾」 6 贈与経済としてのハッカー文化 より)

ということを常に念頭に置いていきます。そして、「中央集権の有無」によって、その競争ゲームのルールが全く変わってくることを整理していきます。

 

まず、「中央集権アリ」の場合です。この“中央集権”は「希少財」を牛耳るものと(ここでは)定義します。言い換えると「希少財だからこそ“中央集権”の存在意義がある」ということです。

この「中央集権システム」は2つの経済ルール(であり社会的地位の競争ルール)が組み合わさって成り立っています。

1つ目は「上意下達方式」ですが、ここでは2つ目と揃える意味で「配給経済」と言い直しておきます。この「配給経済」は希少財を1つの中央権力が牛耳っている状態です。ただしこの経済は規模が大きくなると非効率になるため、より大きな2つ目の経済ルールに“寄生”する存在(例えば政府、軍、ギャング集団など)となります。

そして、その2つ目が「交換経済」です(いわゆる市場資本主義経済と言ってもいいかも知れません)。この「交換経済」は希少財を「交換する者の自発的な協力」によって配分していきます。つまりこの「『交換する者の自発的な協力』に任せるというルール」自体が“中央集権”となります。そしてこの巨大な「交換経済」に「配給経済」が寄生(交換経済と配給経済それぞれの有力者が癒着している状態)した総体が、上記の「中央集権システム」の全体像であり、「希少財」をコントロールしています。

 

さて次に、「中央集権ナシ」の場合です。この場合の人々がやりとりする対象は「希少財」ではなく「過剰財」です。ここが一番のポイントで、つまり「過剰財」ではもはや“中央集権”の存在意義がなくなってしまいます。ですので、むしろ「『過剰財』を扱う経済ゲームにおいては“中央集権”というプレイヤーは(機能しないので)退場せざるを得ない」と言った方が分かりやすいかも知れません。

この「過剰財」ですが、「生存に必要だが不足することがない財」であり、これを扱う経済ゲームが「贈与文化」です。ここでは「贈与経済」と言い直しておきます。

「贈与経済」は文字通り、財を他者に贈与する経済ゲームであり、ゲームの目的はもちろん社会的地位獲得ですが、その競争軸が「評判」となります。つまり、どれだけ価値のあるものを贈与できるかどうかで、周囲から獲得できる評判のレベルが変わってくる、ということですね。

 

まとめると、中央集権が意味を成さない「過剰財」を扱うフィールドにおいて社会的地位を争う経済ゲームは、「贈与経済」であり「評判ゲーム」である、そして、その評判を獲得することがモチベーションとなり、プロサンプション活動(=消費者が生産的価値を贈与する活動)が起こる、ということになります。

次回も、この流れに沿って、「そのような評判を獲得するモチベーションの構造」についてもう少し詳しく見ていきます。

 

※今回の考察は以下の引用箇所を参考としました。今回は逐次抜粋箇所を提示すると分かりづらくなると判断したので、まとめた形で参考箇所を提示いたします。

人間が持つ組織化のほとんどの方法は、希少性と欲求に対する適応行動だ。それぞれの方法は、社会的地位を獲得する別々の手段を持っている。

一番簡単な方法は 上意下達方式(command hierarchy)だ。上意下達方式では、稀少な財の配分は一つの中央権力が行って、それが軍事力でバックアップされる。上意下達方式は、規模の変化への適応力(スケーラビリティ)がものすごくとぼしい。大きくなるにつれて、ますます横暴で非効率になってゆく。このため、大家族以上の上意下達方式はほぼかならずといっていいほど、別のかたちのもっと大きな経済に寄生する存在でしかない。上意下達方式では、社会的地位はおもに恐喝力へのアクセス能力によって決まってくる。

ぼくたちの社会はもっぱら交換経済だ。これは財の希少性に対する洗練された適応方式で、規模の変化にもよく適応する。稀少な財の配分は、交換と自発的な協力によって非中心的に行われる(そして実は、競争の欲望がもたらす最大の効果は協力行動を生み出すことだ)。交換経済では、社会的地位はおもにもの(必ずしも物質的なものとは限らない)のコントロールの大小で決まる。

ほとんどの人は、この二つについては説明されるまでもなく精神的なモデルを持っているし、それらがどう相互に機能するかもわかっている。政府や軍、ギャング集団などは、ぼくたちが「自由市場」とよぶもっと大きな交換経済に寄生している上意下達システムだ。しかしながら、このどちらともまったくちがっていて、人類学者たち以外はあまり認知されていない第三のモデルがあるんだ。これが贈与の文化だ。

贈与文化は、希少性ではなく過剰への適応だ。それは生存に不可欠な財について、物質的な欠乏があまり起きない社会で生じる。穏和な気候と豊富な食料を持った経済圏の原住民の間には、贈与経済が見られる。ぼくたち自身の社会でも、一部の層では観察される。たとえばショービジネスや大金持ちの間でだ。

過剰は上意下達関係を維持困難にして、交換による関係をほとんど無意味なゲームにしてしまう。贈与の文化では、社会的なステータスはその人がなにをコントロールしているかではなく、その人がなにをあげてしまうかで決まる。

(中略)そしてハッカーたちは、長時間の労力をそそいで、高品質のオープンソース・ソフトをつくる。

というのも、こうして検討すると、オープンソース・ハッカーたちの社会がまさに贈与文化であるのは明らかだからだ。そのなかでは「生存に関わる必需品」――つまりディスク領域、ネットワーク帯域、計算能力など――が深刻に不足するようなことはない。ソフトは自由に共有される。この豊富さが産み出すのは、競争的な成功の尺度として唯一ありえるのが仲間内の評判だという状況だ。

Eric S. Raymond 著 山形浩生 YAMAGATA Hiroo 「ノウアスフィアの開墾」 6 贈与経済としてのハッカー文化 より)

カテゴリー: 研究仮説の発表/議論 — 梅田 11:13 AM  コメント (2,571)